• 作品の背景

    ミリキタニの猫、ミリキタニの風景

    佐々木玲仁(九州大学大学院人間環境学研究院准教授 臨床心理士、京都大学博士[教育学])

    この映画のタイトルになっているのは「猫」だ。
    映画の冒頭、ジミー・ツトム・ミリキタニは「猫の絵を描くホームレスの画家」として現れる。猫は映画の中で繰り返し描かれていて、どれも画面の奥からこちらを見つめている。手前には、多くは花や果物、野菜が配され、奥行きのある絵になっている。

    もう一つ、繰り返し描かれるものが「収容所の絵」だ。
    ツールレイク日系人強制収容所、ジミーをはじめと12万にの日系人が閉じこめられ、市民権を放棄させられた収容所の絵を、繰り返しジミーは描いている。

    構図は毎回、とても良く似ている。1枚目として映されている絵は、奥に左右非対称な特徴的な山がそびえ、手前から奥に向かって道が延び、行く先は門で閉ざされている。その道の上には奥に2人、手前に1人、人がいる。手前の人はジミー本人のようだ。道の左には草原、そこにウサギが隠れている。右側には数軒のバラック。山の上には群れをなして飛ぶ鳥。

    この映画のバックグラウンドを知っているからそう見えるのかもしれないが、この色使いから私は荒涼とした印象を受けた。そして、山の手前を飛ぶ鳥からは、何か不吉な印象を受ける。次の絵も奥に山、夜明けなのか夕暮れなのか、山は赤く染まっている。人が手前に一人、奥に二人は1枚目と変わらない。ウサギにバラック、門と塀もまた描かれている。3枚目、4枚目…映された風景は、色使いや細部に変化はあるものの、その構図はほとんど変わらない(そしてここには猫は描かれていない)。

    これらの絵の構図が変わらないことは、技術をもった画家が同じ場所を描いているということを考えれば、当たり前のことなのかもしれない。

    しかし、この数枚の絵を見たとき、私は何ともいえない「固定感」のようなものを感じた。50年以上前の場面を繰り返し描いている。映画で映されたのは数枚だったが、おそらく、長期間の間にもっと多くの同種の絵が描かれたのであろうことが暗示されている。そして、同じように繰り返される「演説」。

    絵も言葉も、ジミーの中では固定され、繰り返されている。同じ絵を描き、同じ言葉を話す。まるで様式化された儀式であるかのようにも感じられる。

    この繰り返しが変化する(あるいは、変化するように見える)のは、撮影者がジミーに本格的にかかわり出してからである。

    芸術家として絵を描くという行為は、意図や芸術的な衝動で描かれるものと考えていいだろう。しかし、もし絵を描くことを治療行為と捉えるならば、そこには必ずその表現を受けとる者、心理療法でいう「見守り手」が必要である。

    撮影者が強く関わり出してからのジミーの絵は、編集のためにそう見える可能性もあるが、描かれるものや色合いがより生き生きとしたものに変わってきているように見える。また、描いているときの描き方がずいぶんと路上で描いている時とは異なっているようにも感じられる。

    路上では、ジミー自身は「閉じて」いて、ただ絵を通じてだけ外の世界と繋がっているように見えた。それが、まずは「今日は絵を描いていた」ということが言える相手がいる状況になると、様子が変わってくる。そして、猛然といっていい勢いで次々に絵を描いていく。

    映画の始めと終りのジミーの変化をもたらしたものは、福祉サービスと繋がったことや過去の情報(市民権剥奪が解除されていること)を得たことなど、さまざまな要因があるだろう。その中の一つとして、ジミーが絵を描いていたことも入れて良いと思われる。

    しかし、そうであるとするなら不思議なことがひとつある。それは、「なぜ50年間も絵を描き続けていたのにそのような変化を絵はもたらさなかったのだろうか」ということだ。描くことがそのような心の変化をもたらすならば、どうしてもっと早くその変化は訪れなかったのか。

    それは、そのような変化が起こるには、絵を受けとめる「見守り手」が必要だということなのではないだろうか。

    始めは撮影者と撮影対象という距離をおいて接していた撮影者が、期せずしてニューヨークでのテロをきっかけに、ジミーとのより近く強い繋がりを作っていく。そして、間近でジミーの絵が描かれるのを見、描かれたものを受け取る。そのことが、絵を描くことを治療的な行為として成立させてきたのだと考えられる。

    ジャクソン・ポロックそうだったように、芸術的な果実は必ずしも描き手の幸福を保証しない。描き手は、描くだけでは救われないのだ。

    もっとも、本来であればこの撮影者と対象の距離感は近すぎて、危険地帯に入り込んでいるようにも見える。この危険地帯から、撮影者と撮影対象が、映像作家と画家という芸術家・専門家としての力を発揮して無事に脱出してきたことを称賛したいと思う。危険地帯に入り込んで、無事に出てくること、これはもちろん誰にでもできることではない。

    最後に一つ気にかかるのは、55年前の戦争でジミーが被った傷がこのような形で変化するために必要だった撮影者との強い関わりは、ニューヨークのあのテロがきっかけになって生まれてきたこと、そして、そのきっかけが無かったらこの物語は生じなかっただろうことである。

    大変に気が重い推測なのだが、我々は一つの巨大な暴力から受けた傷を癒すためには、次の暴力を必要としているのだろうか。ニューヨークのテロで生じた傷は、また50年後の新たな暴力によってしか治癒しないのだろうか。しかも、そのような傷は今この瞬間も激しい勢いで増え続けている。そうではないという断言を、現時点で私はすることができない。これはおそらく、暴力の連鎖を止めるといったような綺麗ごとだけではどうにもならない話である。

    一つ救いとなることは、映画の終盤で、ツールレイク強制収容所の再訪が実現していたことである。これを実現させた人たちは、55年間、忘れなかった。そのことに希望を見出したいと思う。絵も映像も語られる過去の事実も、それ自体はただそこにある。

    問題は、それをどう「見守り手」として受けとめていくことであり、また、「見守り手」としてそこにいることで、そこで起きていることに関与し得るということを忘れないでいるということなのではないだろうか。
    そんなことを、この映画を見ながら考えた。